3月 29 2011年

おっぱいマッサージ

[ 投稿時刻 ] 23:49 | [ 投稿者 ] ひょっとこ 

ポニョの時も、おっぱいが詰まってしまい、おっぱいマッサージに行った おたふく ですが、今回も おっぱい の出が悪いという感覚があるそうです。昨夜もメイにおっぱいあげても眠らないので、ミルクを足したという報告と共に、メールで自分自身のおっぱい並びにおっぱいタンクの小ささを恨めしく思うというメールを寄こしてきました。

というわけで、今日は朝から助産師さんに相談・おっぱいマッサージを受けに行ったそうです。

ポニョの時もお世話になった敦賀さんという助産師さんが運営する サロン に行き、おっぱいマッサージをしてもらいましたが、意外なことに

おっぱい、出てるそうです♪

メイの飲み方(乳首の咥え方)が悪いそうです。量は十分出ているので、特にミルクを加える必要は無いということですが、心配なら夕方に一回足す程度で大丈夫ということでした。

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3月 29 2011年

これがリアルなんだろうな…

[ 投稿時刻 ] 23:15 | [ 投稿者 ] ひょっとこ 

数日前からtwitterで話題になっていた、東京で看護師として働く女性が今回の大震災で最も被害の大きかった都市の一つ、陸前高田に災害対策支援医療チームの一員として派遣されたことを綴ったブログ

読もうと思って、心のブックマークに入れておいたのですが、読み始めると一気に読んでしまって、そして何度も涙ぐんでしまいました。報道では決して触れられることがない、リアルな震災の被災現場のレポート。そこに派遣された「プロ」としての職業観と一個人としての感情の起伏が克明に記してありました。

阪神大震災で被災した経験があるので、今回の大震災の件について、敢えて当方のブログで触れることはやめておこうと思っていたのですが… 被災体験そのもの、あの時目にした光景、味わった苦労は自分の人生観を変えるものでしたが、それでもやはり時間の経過と共に風化してしまっていることに気付かされてしまいました。

今回の大震災の被災現場では、電気もガスも復旧していない中、寒い体育館の中に避難している住民(小児や高齢者)の中でインフルエンザが流行しそうになったり、救援物資が届かないために生米を食べた結果、胃腸炎を起こしてしまった人がいたり、次々と脱水症や低体温の患者が搬送されてきたり… 本当に目の回るような忙しさだったようです。おまけに、東京から万単位で現地に持って行ったガーゼや点滴では全く足りないような状況の中で、住民を元気づけるために「笑顔」を意識して、対応を続けていました。

しかし、極限状態に張り詰めた状況の中、初産の妊婦さんが産気付いたとの連絡が入り、彼女は出産のサポートに回ります。そして、無事に赤ちゃんを出産。そのシーンについて、次のように記載されています。

そういえば今日もあんまり笑顔を見せてないなって時に
妊婦さんが産気づいたとの連絡。

私と同じ年くらいの初産の妊婦さん。

助産師の免許はないから
点滴の確保とベビーキャッチにまわりました。

点滴を入れていると
「重症のかたがたくさんいるこんな時に本当にすみません」と。
「何をおっしゃいますか!!
高田のみんなや全国のみんなが赤ちゃんを待ってますよ!!」と声をかけました。
赤ちゃんは明日への希望です。

元気な赤ちゃんが生まれたときは、薄暗い分娩室が
本当に明るくなったように思います。

お湯も思うように沸かせないからガスコンロであたためた湯を準備したり
支援物資で届いたアンパンマンのバスタオルに包んで。

涙を流してるお母さんが

「もうちょっと早く生まれてきてくれたらおじいちゃんとおばあちゃんに見せられたのに。
とても楽しみにしていたのに。」と言っていました。

でもこんなにスムーズに
元気な赤ちゃんが誕生したことはきっとそばで見守ってくれていたに違いないと思いました。
眉間にシワを寄せてピリピリしていた救急チームも産声に駆けつけ
一気に笑顔の空間に。

これから大変なことがたくさん待ってるけど、
絶対それ以上に嬉しいこと、幸せなこと、楽しいことだって待っています。
この赤ちゃんが大人になる頃は元の高田市に戻って笑顔が溢れる穏やかな街並みになっていることを
その場にいたみんなが願いました。

ラジオからはひっきりなしに聞こえてくるどんどん増えていく死亡者数。

こうやって生まれてくる新しい命。

どちらも尊いものです。
命の重さもみんな同じ。

改めてそう思いました。

明日も笑顔で今日よりいいことを見つけよう。

また、寝泊まりをしていた体育館で瑠奈ちゃんという6歳の女の子との交流についても触れられています。そのシーンは本当に悲しい…

寝泊まりをした体育館で
たった三日間でかわいいお友達が出来ました。
血圧測定や点滴に走り回る私のあとを小走りについてくる

人懐っこい6歳のかわいい女の子、瑠奈チャン。

マスクが大嫌いな子だったので
マスクに全然似てないキティちゃんを書いてあげたら気に入ってくれたのがきっかけだったのかな。

夜の体育館は本当に寒いので頼るのは薄い毛布と人肌。

私の医療チームは男ばっかりだから人肌に頼ることも出来ず毎日入り口付近ですきま風と戦っていました。

電気が復旧していなかった広い体育館は例えるなら洞窟みたいでした。
ストーブも消され冷えきった真っ暗な空間。
頻繁な余震。

1人だったらどんなに怖くて心細いか。
たくさんの避難されているかたが集まっているからこんな暗闇でも朝を待つ気力に変えられるのだろうと心底思いました。

真っ暗な夜中の体育館の
寝息の中に
もちろんすすり泣きの声も聞こえています。

不安なのかな、
家族や友達と会えていないのかな、
考え出すときりがないし
私は1週間程度だけど
ここにいるみんなはこれがいつまで続くんだろうと思うと暗闇の体育館は洞窟どころか
出口の見えないトンネルのようにも思えました。

寒くて眠れないけど、そろそろ寝ないと不眠不休で倒れてしまいそう
ここで倒れて足手まといになったら来た意味がないと寝返りをうっていたら
瑠奈チャンが「お姉ちゃん!」とどこからか毛布を持ってやってきてぴったり横にくっついてきました。

「瑠奈チャンも眠れないの?」と聞いたら元気よく頷いていたので
抱き寄せるとめちゃめちゃあったかい瑠奈チャン。

「お姉ちゃん、好きな人いる?」と瑠奈チャンに聞かれたので
「いるよ!」と言ったら
「どんな人?」って(´`)
「おヒゲがはえてる人だよ(笑)」と分かりやすいように教えてあげたら
「サンタさん??」と。
かわいいなぁと思いながら「そうだね、サンタさんみたいな人だね」と頭をなでなでしながら話すと
「また冬になったらサンタさん来てくれるかな?」とニコニコした笑顔。

やっと笑顔が見れて嬉しくなって「瑠奈チャンいい子だからまたサンタさん来てくれるよ!」と言ってしまった私。

でも「瑠奈チャンね、おうちなくなっちゃったけどサンタさん、瑠奈チャンちがないからプレゼント持って帰ってしまわないように
お姉ちゃんから言っておいて」と言われて、ごめんねって思いながらぎゅっと抱き締めてしまいました・・・

「瑠奈チャン、なにが欲しい?」の私の質問に
「おうちとママ」

いつも一緒にいるのが母親かと思っていたけど
次の日、それは叔母さんということが分かりました。

瑠奈チャンのお母さんも被災され、あんなにかわいい瑠奈チャンを残して瓦礫の下から変わり果てた姿で見つかったそうです。
瑠奈チャンは幼稚園にいて救出されたけど
お母さんは瑠奈チャンが大事にしていたお人形や絵本の入ったリュックを抱えて亡くなっていたそうです。

まだまだ小さな瑠奈チャンはお母さんが恋しくていつも私にくっついて寝ていたのかな。

別の避難所と救護所に移動のためにいつも寝ていた体育館を去るとき
瑠奈チャンが私と別れることに対して声をあげて泣いていました。

お母さんと悲しい別れをしたばかりなのに、傷は癒えてないのに、また
別の形だけど人と別れる悲しみを味わせてしまった・・・

また会おうって言っても
お手紙を書きたくてももう瑠奈チャンには住所がない

でも、きっとまた復興したら必ず会いに行く約束をして体育館を離れました。

この震災を忘れずに
強くて優しい女性になってほしい。
どうかこれから進む道が明るくて幸せであるように。

リーダーナースとの泣かない約束はあっけなく破られ手を振る瑠奈チャンを見ながら、車の中でずっと泣いていました。

なんでこんなことになったんだろうと悔しさをどこにぶつけていいか分からず
次の支援施設、救急病院へ向かいました。

みんなに笑顔と元気を届けに来たのに、瑠奈チャンを泣かせてしまって。

私のここにいる意味は何だろうとも思っていました。

そして、この瑠奈ちゃんは彼女が次に行った避難所から東京に戻る際、叔母さんと一緒に彼女の元にやって来ます。

避難所で別れの挨拶をしたときに、みんなも泣いていたけど笑顔で『今度会うときにはもっと良くなってるように頑張るね!』『復興したら旅行においで』『お嫁においで』と言ってくれて涙涙で避難所を後にしました。
助かった人たちも、自分だけ助かったことや
誰かを助けられなかったことに自責の念を話してくれたけど、誰も悪くない。

それに助かったことには絶対意味があります。
胸はって前を見て、つらいときは泣いて、1人ではないことを忘れないでほしい。

サプライズもあって
瑠奈チャンも叔母さんと手紙を持って駆け付けてくれました。お手紙には「大きくなったらおねえちゃんみたいなおしごとをします」と書いてあり、この仕事をしていて良かったと思いながら涙が止まらなかった。
陸前高田は第二の故郷になり、故郷の復興を願ってやみません。

ここで見たこと、経験したこと、感じたことは同僚や友達や家族に伝えていこうと思います。
当たり前の日常がどんなに幸せなことか。
そばにいてくれる家族や友人がどんなに大切な存在か。
水や電気の資源の供給がどれだけ恵まれていることか。


本当に、これがリアルな状況だと思います。

実は、母親の妹夫妻が名取市に住んでいて、今回の大震災で被災しました。津波の被害がひどい地域ではあったのですが、幸運にも高台に家があったようで、津波の被害は免れました。それでも、地震の揺れによって家の中は無茶苦茶になり、地震当日にはこちらからの連絡は一切繋がらず、翌々日に連絡がついたような状況でした。

一日も早い復興、被災した皆さんが再び平穏な日常生活を送ることができるようになることを祈ります。

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