先日のエントリーでも触れたように、子育てスタイルで「幼児ポピー」のモニターに当選しました。本当は今日の正午までにモニターレポートを書いて、ブログにアップしないといけなかったんですが、期日に遅れてしまいました。ごめんなさい。せっかく当選したにもかかわらず、義務を果たさずに大変失礼いたしました。以下、遅くなりましたが、取り急ぎ(といっても、長文なんですが…)レポートします。
東京へのプチ単身赴任から自宅に戻ると、集合ポストに運送業者の配達記録が複数枚入っていました。宅配ボックスに入れておいてくれれば良かったのに、わざわざ配送センターまで持ち帰っていたようです。。。というわけで、配送センターに電話して再配達してもらいました。
ちょうど、ポニョとおままごと遊びをしている最中に配送業者はやって来ました。
玄関まで一緒に行き、配送業者から受け取った封筒をポニョに渡すと、
うーたんは!?
と聞いてきました。
そう!! 昨日、あやべ屋さんから届いた封筒には手描きのうーたんのイラストが貼り付けてあったので、それが印象に残っていたんですね。すごーいぞ、ポニョ。よく覚えていました♪(もちろん、自宅では頭をなでなでして誉めてあげました)
リビングに行って、封筒を開けると飛びつくポニョ。そして、それをサポートするおたふく。和室には先ほどまで おままごと に興じていた痕跡が…
今回のモニターで初めて幼児ポピーを目にしましたが、毎号のプログラムは「手先を使う」・「ことば・文字・かず」・「食べもの」・「からだあそび」・「しつけ」・「きせつ」に分類して編集されているようです。早速、「手先を使う」に分類されているシール遊びに夢中になりました。決められたページに貼り付けるのですが、自由気ままに貼り付けて遊んでいました。自分の指に巻き付けたり、パパのほっぺに貼り付けたり…(^◇^;)
他には、色々な「穴」のあるものの紹介(ドーナツやれんこん、水道の蛇口)をクイズ形式のような形でまとめられた別冊の本を使って遊びました。
こちらは、水道の蛇口のページで、蛇口のひねり方や水が出てきた絵にあわせて手を洗っているところ。
綺麗に洗えた!?
また、モニターの中には、家庭教育の手引き【幼児版】「自信を持って子育てしませんか?」という別冊も入っていました。以下に自分の心の琴線に触れた内容を一部引用します。
家庭は、幼児にとっての学校です
子どもは親の真似をして学びます
赤ちゃんは生まれたときから「家庭」という学校で、「親」という先生の教育を受け、「生きる力」を身につけていきます。幼児期における教育の基本は、家庭環境による教育であり、親の役割が重要になります。「幼稚園の上の子が弟を叱るのを見て、自分とそっくりなのでビックリした」などというお母さんの話をよく聞きます。「学ぶ」とは「真似ぶ」ことで「親は子の手本となる鑑(かがみ)、子は親をうつす鏡」ということです。「三つ子の魂百まで」といわれるように、3歳までに人の基本的な性格がかたちづくられることを考えると、お母さん・お父さんの役割の重要さがお分かりいただけるでしょう。そして、「母賢ければ、子必ず賢し」と言われるように、とりわけお母さんの子供への影響力は大きいのです。
父親も重要な先生です
「父賢けれど、子必ずしも賢からず」とも言われるお父さん。存在感が薄いと言われている方も少なくないようです。お父さんの存在感が薄いと、お父さんという成長の手本となるべきモデルの背中を見て子どもが育つことは難しくなります。
お父さんは幼児との信頼関係をしっかり築いて、社会の見方や人との関わり方を伝え、社会との橋渡しをしてあげることが大切です。
おたふくの周りの友達から、あまり「存在感が薄い父親」だと言われたことはありませんが… いや、それどころか、少々出しゃばりすぎな感があるかもしれないのだけれど、これからも一生懸命触れ合っていこうと思っています。
明るく、のびのび、元気な子がいちばん
どのような子どもに育って欲しいと願っていますか
「まず体をつくり、それから基本的な倫理を植え付け、最後に知識を与える」といわれるように、なにより必要なのは体づくり。幼児は元気がいちばんです。自然に触れ、戸外でかけ回っている子は、心身共に健康な幼児です。
自然体験で、野に咲く花の美しさや昆虫の生態の不思議さなどに触れさせましょう。また、友達と遊ぶ楽しさに触れさせることも大切です。そうすることで、幼児の心の奥深いところに、自然愛や人間愛などの豊かな感情を育て、好奇心や人との関わり方を身につけさせましょう。
家庭ごとに教育方針はあると思うのですが、我が家の場合は… これまで何度か書いているように、まずは親子一緒になって外を駆け回って、疲れて帰宅して一緒にお昼寝することが幼児期コミュニケーションの基本だと思っています。無理に勉強じみたことをさせるのではなく、心が育つようなことを企画・実践していければと思っています。
文字や言葉、数の効果的な学び方
幼児期の「遊び」は、すべて「学習」です
幼児にとっての遊びは、健康に生きていることの証です。大人は仕事と遊びを分けて考え、小学生も「よく遊び、よく学べ」などと区別して考えますが、幼児期の遊びは、生活の全てです。つまり、「遊び=学習」なのです。
この中で五感を働かせ、知識・心・体を総合的に発達させています。
子どもが学びたいと思うときが教えるチャンス
雛が卵の殻を内側からつつき割って出ようとするとき、親鳥は外側からつついて助けてあげます。これは早すぎても、遅すぎてもうまくいきません。幼児の学習においても同様です。子どもが殻をひとつ破ろうというとき、親が助けてあげるタイミングが重要です。
子どもが学ぼうとしている気持ちを敏感にとらえ、子どもが要求していることを支援してあげる… このように、親子の呼吸がピッタリ合ったとき、最高の学習効果を得ることができます。
これも家庭ごとの教育方針があるのでアレなんですが… 基本的にはこの箇所に賛同しています。幼児期じゃないと泥んこ遊びや砂まみれになって遊ぶことはできないので、思う存分やらせてあげたいし、その中で学ぶこと(泥んこになって帰宅するとママが怒る→泥は汚い→もうやらない)もあると思います。
ボクは中学受験をして、それなりの私立中学に行きましたが、その先の人生が華々しいかというと決してそんなことはありません。自分の努力不足が原因なので、別にそれを何かに責任転嫁しようとは思っていませんが、自分が塾に通うようになったきっかけは、兄が塾に通う姿を見て、塾が楽しそうだと思ったことです。そのため、塾へは親から強制されて行かされたわけではなく、自分から母親に「塾に通わせて欲しい」とお願いをしたのです…
そのため、母親も非常に厳しかったです。小学校2年生から6年生まで塾に通っていましたが、高学年にもなると日曜日も朝から夜まで志望校別の特訓コースが用意されていました。お腹いっぱいで食べられません、これ以上!! って感じでした。ご馳走様です…
母親は「自分が言ったことは最後まで責任を持ってやり通しなさい」の一点張りで、何度も心が折れそうになった小学生のボクを叱咤激励して受験までナビゲートしてくれました。そのことには、今となっては感謝の気持ちしかありません。
しかし、小学生時代に友達が野球やサッカーを続けている中、自分は塾があるからと途中で抜けることも多く、友達への引け目(人数が半端になってしまう)や(遊び続けていられる)羨ましさを感じていたのも事実です。
子供に勉強癖を付けるというのは重要ですが、自分と同じ気持ちを幼少期から味合わせたくないな、というのが正直なところです。自分から申し出て塾に行かせてもらったという点では、「子どもが学びたいと思うときが教えるチャンス」にドンピシャにハマっているとは思うんですけどね…
いや、難しいですね、自分の子供への教育って。